カウンセラーと育師

前回の記事を書いた後も、依然として私の中で「才能」がホットワードになっているため、今回も「才能」をテーマに書いていきます。


私はだいぶ前からカウンセラーとしてやっていくぞ、行動するぞと言いはしているものの、ちょっと何かやっては止まり、またちょっと何かやる…という事を繰り返している。

そしてその止まっているときは大抵、「カウンセリングとは?」「カウンセラーとしてどうあるべきか?」みたいな本を読んでは、「う~ん私もこうなりたいなぁ」とか、ふむふむ…とか思って、何かやった気になってそのまま寝てしまう。

「これじゃあ頭でっかちになる一方だよなぁ、もっと実践を積まないと」とか思いつつ、また次の本に手を伸ばす。最近はそんなことばかりしている。

なのでいい加減何かしらのアウトプットをしようと思って、今回もまた最近読んだ本から思いついたことを書くことにした。

今読んでいる『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』の中で、河合さんが「教育」という言葉は「教える」と「育む」という二つの言葉からなっているが、日本の先生は「教える」のが好きな人は非常に多いが、「育む」方を忘れている人が多いんじゃないかと言っている。

そして同時にカウンセラーは「育師」なのだとも言っているのだが、私はこの話を読んでいて、学生時代に習った「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」という故事成語のことを思い出した。

詳しい意味はこちらのサイトを見てもらうとして簡単に説明すると、千里を走る名馬のように才能豊かな人はいつも沢山いるけど、その名馬(才能)を見抜き、育てて世に出せる人物)というのは滅多にいないという話である。

何故これを思い出したかというと、お弟子講座中、師匠から「問題の中に才能あり」とか「クライアントさんの才能を見つけろ」という言葉を何度も聞いたからである。
師匠はサラッと大変難しいことを言っていたわけですな。

自分が伯楽のように才能を見抜いて、更に育み世に送り出すなんてことは無理なんじゃないかとは思うのだが、見ようとする姿勢だけは持っていたい…いやほんとマジで。

 

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