才能ってものね、の話

私の公に言える数少ない趣味のひとつが読書である。(ちなみに公に言えない趣味は、毒電波ポエムを書くとか、冷たい床の上で陸に打ち上げられた死にかけの魚の真似をするとかです。)

私は好きなものはシェアするより独り占めしたい性分なのだが、「この話は良い!字が読める奴は全員読め!読めない奴は誰かに読んでもらえ!!」と思える名文と出会えるとテンションが爆上がりし、こうしてブログに書いてしまうのだ。

というわけで、今回は佐野洋子のエッセイ『ふつうがえらい』に収録されている『才能ってものね』について書きます。

佐野洋子といえば絵本の『100万回生きたねこ』で有名だが、彼女はエッセイストとしても素晴らしい。

『才能ってものね』のあらすじを紹介すると、洋子さんが息子をスイミングスクールに連れて行き、子ども達の練習している姿を見て才能のある子とない子の差を目の当たりにして悲しくなるところから話は始まる。

そして、「特別に」才能のある子と「特別に」才能のない子の間にいる凡庸という集団のことを思ったり、洋子さん自身は「特別に」英会話の才能がなかったということを、過去の経験談を交えて軽快に描写している。

この話はとても短いのだが、私は何遍も最後の文章を読んでは励みにしている。その文章を一部引用させてもらうと、

“一つや二つ「特別に」才能なくても、どうにか生きていこうぜ。三つや四つ凡庸ってものにもありつけるわよ”

というものである。洋子さんは絵と文章の才能に恵まれ沢山の作品を世に出したので、私からすれば「特別な才能だらけじゃねーか!」とツッコミを入れたくなるのだが、そんな人にも凡庸にありつきたいと言うのだなと思うと、少しは親近感が湧く。

そして同時に「特別」という言葉の意味についても色々考えさせられる…なんつって。

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Fuka
Fuka
スクールカウンセラーにお世話になった人に安心できる居場所を提供したいとの思いで、心理カウンセラーとして活動しています。

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