「まるごと好き」と言えるか

引き続き『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』を読んでいる。
この中にある男の子の話が印象に残ったので、今回はそれについて書こうと思う。


ある男の子がカウンセラーになかなか大変な内容の相談をしたが、「これは絶対秘密だから誰にも言わないでくれ。」と言うので、カウンセラーは約束通り黙っていた。

しばらくしてその子が担任の先生に「このことをカウンセラーに相談したけど、うんうんと聞くばかりで何も言ってくれなかった。」と言う。
そうすると担任からは「カウンセラーは何を聞いても秘密にするのか」と言われた。

カウンセラーからすれば、その子が「秘密だ」と言いながらも自分で他の人に言っているので文句の一つも言いたくなるのだが、そこで大事なのは「あの子がこういうことをするということは、あの子は一体何を求めているのだろう。どうしてこういうことをするのだろう。」と考えることが大切だと(講演者の)河合さんは言っている。

また、一つ言えるのは、そういうことをする子(今回の例では先生とカウンセラーを喧嘩させるようなことをする子)は、「僕がどんなことをしても、僕のことが好きか?」と問うているのだとも続けて河合さんは言っていて、私はこの言葉を読んだだけで何だか苦しくなってしまった。


「どんなあなたでも、まるごと好きだよ」という、人の根本を支えてくれる絶対的な安心感を持っている人は相当幸せな人だと思う。
私もその言葉が欲しくて、色んなカウンセラーに試すような行動を何度もしてきた。

この人は私の苦しみをどれだけ理解しようとしてくれるか。
どれだけ私の話に耐えられるか。諦めないでいてくれるか。逃げずにいられるか。

試してどうなったかというと、今のところ私のひねくれ度が上がったことくらいしか言えることはない。

一番良いのは自分が自分に「どんな私でも、まるごと好きだよ」と言ってあげられることだと思うのだが、今の私では「キモいし嬉しくない」という感想しか出てこないのが悲しいところである。

自分と仲良くやっていくことは、私にとっては一生をかけて行わなければならない一大事業なのかもしれない。しんどいね。

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Fuka
Fuka
心理カウンセラー。傾聴・共感をメインとしたカウンセリングを行います。

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