能力も才能も、ただあれば良いというものではない⁉︎

私たちは日頃ついつい「あんなこといいな、出来たらいいな」とないものねだりをするものですが、今回は「ある」ことの大変さの方に注目していきたいと思います。

今まで何度か書いてきましたが、私の母は耳が悪く、小さい頃から私が母の代わりに他の人の話を聞き、それを母が分かりやすいように伝えるということをしてきました。

母はあまり周囲の音が聞こえなくて困っているけど、私は逆に周囲の音が聞こえすぎて困っています。寝るときは耳栓は必須だし、ライブ会場などの騒がしい場所には行けません。

特に複数人の話し声は、耳と脳が苦痛を訴える頻度が多いので、人が集まる場所へ行くときは事前に脳内シミュレーションをして「行くぞ」モードにしてから出かけています。めんどいね。

別のケースだと、以前私がカウンセリングを受けていたとき、あるカウンセラーから「あなたは本当は才能豊かな人なのに、もっと色んなことができるはずなのに。」というようなことを言われたことがあります。

しかし私は今も、ビジネスとか恋愛とか家庭生活とか何らかの分野で活躍しているわけではありません。才能よどうした?まだ寝てるのか?

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心理学の格言に「問題の中に才能あり」というものがあります。その人が持って生まれた才能を活かすために問題が発生するという考えです。

もし問題と才能が表裏一体だとしたら、たくさん才能を持っている=たくさん問題を抱えているということですか?これはひどい。大変じゃあないか!

あと才能が豊かとか、色んな事が出来るって素晴らしいことだけど、複雑な電子機器が壊れやすくてメンテナンスが大変なように、自身のケアってめっちゃ大変じゃない?と思いまして。

なんだか今の私は「才能いっぱい欲しいー!!」と思って色んな才能という名のパーツを着けまくった結果、逆にそれが重過ぎて動けなくなってしまった『機動(しない)戦士FUDAM』って感じです。パイロット何やってるの?いや、整備班のせいかな?

とまぁ今回は「私才能あるらしいんですけど、全然活かせなくって辛いっすわ(笑)」という自虐風自慢か!としか思われない内容になってしまいましたが、今デカめの問題にブチ当たっている人は「っかー!私のような天才にはこーゆー問題来ちゃうよねー!!」と開き直って何とか今日を生きて下さい。

そしてFUDAM(フーダムと読みます)のメンテをしてくれる人も大募集中です。

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Fuka
Fuka
心理カウンセラー。傾聴・共感をメインとしたカウンセリングを行います。

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