お弟子仲間の娘さんよりご相談をいただきましたので、頭をひねりながら回答しました。
【相談】
Rの娘です。
私は、中1で普通に中学校に通ってますが
生きる意味って何?って最近思ってます。
小学校では生徒会長とかもやってかなり目立ってきました。
それは、学校イベントなどは、準備されたものにただ参加するより、自分が開催?じゃないけど、はじめからつくりあげてやる側のが楽しいし、人前で話したりするのも大好きだからです。
そして中学校でも副生徒会長までなれました。
でも前に出てする仕事は好きだけど
先輩に優しく声をかけられることが多くなったりしてどこかストレスだったりするような。
無理してるわけじゃないけど、ニコってついしちゃうし、お外に出かけててもプライベートも知られちゃうようで、それもなんか嫌です。
目立つことを自分でしてきたはずなのに、陰キャがうらやましいような。
あとクラスには、相棒みたいな友達もいなく前期では学級委員もしてたけど、なんか浮いてるような感じです。だから登校拒否したいと思ってます。
生徒会の仕事がある日は学校行く意味があるしまだいいのですが、ない日は本当に行きたくないです。
たまに学校休むことはしてます。
とりあえず2週間不登校をしてみようと思ってます。
でもそれで生きる意味はわかるでしょうか。
どうしたら生きる意味がわかるっていうか、そもそもあるの?って感じです。
小学校までは自己肯定感高いって思ってきたし、自信があったのですが、本当に今は生きる意味がわかりません。
私はとってもみんなに愛されてるのもわかってます。
たぶん外の期待が重いのかとも自分で思ってます。
でも先生たちもなるべく私の負担が大きくならないようにとか考えてしてくれてます。
わくわくすること、自分が喜ぶことはいっぱいしてます。他にどうしたらいいと思いますか。
【回答】
こんにちは。ご相談ありがとうございます。
Rさんの娘さんということで、ここではR子さんと呼ばせていただきます。
さてさて。中1ながら破竹の勢いで出世街道をまい進しているR子さん。
中1で生徒会副会長ってすごいですよマジで…。どうしたらなれるんですか?
「学校イベントなどは、準備されたものにただ参加するより、自分が開催?じゃないけど、はじめからつくりあげてやる側のが楽しいし、人前で話したりするのも大好きだからです。」
という言葉からして、結構社交的でアクティブな印象を持ちました。
R子さんには周囲の人と協力して何かをつくり上げる才能があるんですね。
あとサービス精神も旺盛なのかな?周囲がつくった元気で明るいイメージに疲れてしまったのかなと思いました。
元気じゃないときももちろんあるのに、それを周囲の人に知られてはいけないような…。
「常に明るくふるまっていなければ」というプレッシャーがあるのではないかなぁと相談文を読んでて感じたのですが、私の考えすぎですかね?
そして、R子さんは今まで一生懸命周囲の期待に応えてきて、いま少し疲れがたまっていて休みたいときなのかな、と思いました。
しかしながら、「生きる意味って何?」は一生をかけて考えていくテーマだと私は思っていまして、お休み中もこんな難しいテーマに取り組もうとしているR子さんは、人生をマジのガチで生きているなぁとしみじみ思いました。
私も人生の中で壁にぶつかるたびに「私に生きる意味なんてあるのかなぁ。」と思ってきました。
私は学生時代、社交性や積極性もなければ、クラスの子に注目されるような特技があったわけでもなく、「どうせ大した大人になれるわけないんだから生きててもしょーがないじゃん。」とふてくされていました。
そんなとき、フランクルの『夜と霧』という本を読みました。
フランクルという人はオーストリアの精神科医で、第二次世界大戦中ナチスの強制収容所に送られ、死ぬような思いをしました。
その極限状態での体験をこの本に書いてあるのですが、そこにこのような文章があります。
「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。」
「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄(ろう)することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。」
「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。」
(『夜と霧』 V.E.フランクル著 池田香代子訳、みすず書房より引用)
なんのこっちゃ?という感じだと思いますが、フランクルは「生きる意味は誰かによって与えられるものではなく、自分で見つけつくり出すものだ。」と言っているんじゃないのかなと私は解釈しました。
ちょっと硬くて難しいことを書いたので、ここからは頭の中をお花畑にして読んで下さい。
実はR子さんには大きな使命があるのです。
それはあの世で待っている、生まれてきたくても生まれてこれなかった人たちのために、たくさんのお土産を持って帰ることです。
根本先生が過去のブログで、「あの世の人たちからすればこの世はテーマパークのようなところ」だと書いた記事があったのですが、(該当記事を見つけられずリンク貼れなくてすいません。)ここに行くため、あの世では長蛇の列ができています。
R子さんはこの世というテーマパークに入ることができたので、たくさん喜んだり、怒ったり、悲しんだり、笑ったりして一生懸命生きるということをやって、いつか亡くなってあの世に帰ったときに、まだ入れていない人にお土産話をしてあげて下さい。
なんせあの世は平和で何の刺激もないところらしいので、あの世の人からすればR子さんのお土産話はとても喜ばれます。
また、同じくあの世に帰ってきた他の人とも、お土産話の交換ができます。
だから今生きていることは、遠い将来のための話のネタづくりと言ってもいいのかも知れません。
繰り返しになりますが、R子さんは周囲と協力して何かをつくり出すことができる人なので、きっと「私の思う生きる意味」をつくりだせると信じています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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