『みみをすます』の詩からカウンセラーについて考えた回

最近の私は焦っております。

ライターの仕事もカウンセラー活動も超停滞モードなので、先のことを考えては不安になります。

ああ~ああ!!!(叫び)

ブログも、もっとためになることとか、有意義なこととか、面白いことを書いたほうが良いのでは?とかウダウダやっていたらぜーんぜん書けんのですな、これが。

そんな私が現実逃避のために読書をしていましたら、大変エモ~ショナルな詩と出会えましたので、本日はその詩についてカウンセラー活動を絡めて書いていきたいと思います。

今回ご紹介するのは谷川俊太郎の『みみをすます』です。

福音館書店から出ている本なのですが、私はこの詩を『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』という本で知りました。

「みみをすます きのうの あまだれに みみをすます」

・・・と始まる全編ひらがなで書かれた長い詩です(気になる人はググってみてね)。

この詩の中には、ハイヒールとか長靴の靴音や、雷や潮騒など自然の音、お母さんやお父さんが出す音、草を刈ったり戸を叩くなどの生活の音、弓や弾音などの争いの音、十万年前や一兆年前の大昔の音などなど、たくさんの音が載っています。

その中で私の好きな一節が、

「ひとつのおとに ひとつのこえに みみをすますことが もうひとつのおとに もうひとつのこえに みみをふさぐことに ならないように」

という部分です。

そしてもう一つ。この詩には、大きな音や小さな音だけでなく、「唖(おし)」という言葉も出てきます。
声にならない(心の)声にも耳を澄まそう、ということでしょうか。

私はこんなカウンセラーになれたら良いなぁ、と思います。

私はカウンセラーを名乗るよりもクライアントの期間の方がずっと長かったのですが、セッション中よく「私の本音に気付いてくれ」と思っていた気がします。

別にカウンセラーに嘘は言っていないし、今話していることも大切なことのはずなんだけど、「でも本当に言いたいことはこれじゃない」「もっと他に重要なことがあるはずなのに、それが何なのか分からないし声に出ない」という気持ちがあった。

言葉が喉に突っかかってなかなか出てこないような息苦しい感覚。
その言いたいけど言えない言葉が何なのか、当時の私はそれを見つけてほしかったんだと思います。

だからこそ、表に出てる声よりも、声にならない声こそがきっとその人の本音や本質を現していて、その声に気付けるようなカウンセラーになれたら・・・

(とか思っていると、理想ばっかりどんどん高くなっちゃって、動きづらくなるんですけど。)

なので今回、こうして文字にしてみることにしました。これも行動の一つよ。

もうちょい充電したらまたカウンセリングメニューとかモニターとか準備しますので、お待ち下さい!

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Fuka
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