最近、カウンセラーの勉強を再開しました。
お弟子さん制度の過去の動画を見直しながら、私がクライアントだったとき、どんなカウンセラーを求めていたっけ?と考えていたら、ふと「ほんとうの言葉が聞きたい」というワードが降ってきました。
なので今回はほんとうの言葉について思うところを書いていきます。
今まで色んなカウンセリングセッションを受けたり見てきた中で、これは嫌だなーと思ったのがいわゆる”カウンセラー様”的な対応です。
専門用語とかどっかの学者の言葉を借りて何ちゃって心理分析なんかをされると、ほんっとうにムカつく!!
お前そのカタカナ語使いたいだけなんじゃねーのか?と言いたくなる!
医者は患者の訴えを聞いたり、検査や現れている症状から患者の状態を分析して薬を処方したり入院させたりしますが、カウンセラーはそうじゃないだろうと。
カウンセラー様ってのは、自分が何をいうかばかりに気を取られていて、その人自身を見ていなかったり、話を聞いていない感じがする。
過去のパターンとかを参考に、こういう人にはこう言っておけばOK的な対応というか…。
このヤブ医者ならぬヤブカウンセラーめ!手を抜くな!!と言いたくなる。
別に専門用語や有名人の言葉を使うことを批判するわけではありません。
ただどんな目的、あるいは思いを持ってその言葉を使ったのか?というのは気になります。
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ここでちょっと紹介したい話があります。
フランクルの『心理療法と実存主義』という本の中に、自殺を考えていた患者に対して、フランクルがどうして思いとどまってくれたのかと聞くと、その患者は
「あなたが話してくれた内容は、正直に言うとどれも私の心を打ちませんでした。
でもフランクル先生、あなたが深夜見知らぬ人間に起こされたにもかかわらず、怒りもせず辛抱強く話を聞いてくれたことが『こんな事が起こる世界は生きるに値するかも知れない』と私に思い起こさせてくれたのです。」
と言うんです。
私がこの話が好きなのは、フランクルの医者や心理療法家としての言葉ではなく、その態度に患者が感化されて生きることを選んだからです。
伝えたい相手と本気で向き合うときにカウンセラーとか先生とかの肩書きはさして重要ではなく、今まで生きてきた何十年という時間や経験、その全てから出されるその人個人の言葉こそがほんとうの言葉であり、相手の心を打つのではないでしょうか。
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蛇足がてらもう一つ主張しますが、結局人はひとりでは生きていけないけど、自分の人生の責任は自分にしか負えないじゃないですか。
「あなたのためを思って」という枕詞を使ってああしろ、こうしろと言ってくる人は多いけど、その人達はその結果に何の責任も取ってくれないです。
そして、それに失望して頑張って自立して、何でもひとりでやろうとして抱え込んだ結果、潰れそうになる人が世の中たくさんいるじゃないですか。
自分の無力さを知っていて、相手には相手の人生があることを分かっている上で、それでもなお伝える言葉こそが、ほんとうの意味で相手の心と行動を変えるのではないでしょうか。
…こういう事を書いていると、理想ばかりがどんどん大きくなって実際のカウンセラーとしての行動がしにくくなっていくというのがマズイところなのですが、まぁぼちぼちマイペースでやっていきます。
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