あなたも人生という劇の主人公であり、ファンは必ずいる

クソ真面目記事なので注意!(どんな注意だよ)

私はブログでよく全世界10000000000000000人のFukaファンだの、ファンは星の数ほどいるなどと書いては読者の失笑を買っている気がするのですが、割と本気で思っています。

これは将来的にこれだけファンができる!ということではなく、「すでにいる」という意味です。

「可哀想に…Fukaは孤独をこじらせておかしくなってしまったのね(´;ω;`)」とか思わないで!
私には私の理屈があるのです。

早速説明しますが、まずはここで我が心の師、ヴィクトール・フランクル氏の言葉を借ります。

『フットライトとスポットライトに目を眩まされて、ステージの上にいる役者は観客の姿を見ることができない。客席の方には、ただ巨大な黒い穴が見えるだけで、役者は、誰が自分を見つめているのか、その姿を見ることができないのである。』

『人間も、人生というステージに立ってその役を演じているのだが、やはり、この役者と同じように、自分が誰の前で役を演じているのか、その姿を見ることはできない。』

ヴィクトール・E. フランクル (著) 『意味への意志』より引用

はい、これです。
私がステージの上で人生という劇を演じている間、見えないけれどそれを観ている観客がいるのです。

そして将来、私の寿命が尽きてステージの幕が下り、カーテンコールの際にやっと観客の顔が見えるはずです。

恐らくですが、この観客はあの世の人たちです。(ちゃんと話についてきてくださいね。)

急に生物学的なことを言うと、自然妊娠って卵子が約1億匹の精子のうちたった1匹と受精し、子宮に着床することで起こることらしいですね。すんごい確率です。

ここで選ばれなかった精子はあの世に戻って、また魂だけになって選ばれた精子(つまり、この世に生まれた私)がお送りする劇の観客になるんじゃないかというのが私の理屈です。

あと、私がこれまでの人生で出会ってきた人(前世があったらそれも含める)とかも含めたら、一体どれだけの人がこの劇を観ているんでしょうね?

そんなことを思うと、めちゃくちゃ辛くてもう死んじゃおっかな~とか思うときも、「でもこの劇を観ているお客さんは、このオチで満足するのだろうか…」とか思って踏みとどまったりもするのですよ。

まぁ、人生は誰にとっても波乱万丈な劇であるので自殺という選択しかないという場合もあるかも知れないけど、これは言わば劇がまだ途中なのに役者が急に幕を下ろしてしまうような、観客に対する一種の裏切りではないかと思ってしまうのです。

生きることに貪欲で、あがきまくった結果の自殺と、まだ残っているはずの選択肢を放棄した形の自殺では意味が違ってくるのではないかな、と。

…などと考えていると、「やっぱ生きる!!」モードに戻ってこれるのです。

そんな訳で、今めっちゃ不安で辛くて私は孤独でもうダメだ~!となっている人は、見えない観客のことを思い浮かべてみて下さい。

あなたのファンはちゃんといますよ。
どんな劇でも映画でも、物好きな人は観るしね。(え、フォローになってない?)

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Fuka
Fuka
スクールカウンセラーにお世話になった人に安心できる居場所を提供したいとの思いで、心理カウンセラーとして活動しています。

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