デモセッションに手をあげられなかったわけ

今日の記事は、ほぼお弟子制度の関係者に向けた記事になってしまうが、それ以外の人でも、カウンセリングを受けたことのある人にとっては共感できる部分があるかも知れない。

私が現在受講しているお弟子さん制度の講座の中に「デモセッション」の時間がある。
師匠の根本先生のセッションを受けられる貴重な時間だ。

他のセミナーに参加したことのある人ならご存知だと思うが、師匠のセッションは人気なので「相談したいことがある人はいますか?」という質問がされると結構手があがる。

私は過去リトリートセミナーに参加して何度も手をあげたけど、じゃんけんでことごとく負けてクライアントになれなかったので、お弟子講座内のデモセッションは貴重なチャンスだということは分かっていた。

しかし最初の3回は競争率が低かったにもかかわらず、手をあげることすらしなかった。

その理由を前に「ロールプレイが嫌だから」とブログで書いたことがあったが、根本的な理由は違う。

はっきり言ってしまうと、私は弟子仲間や周りの人たちを信頼できないからだ。

例えば私がデモセッションでクライアントになったとする。

私の直近の問題は「長く出来そうな仕事を見つけ、社会復帰をしたい。」なのだが、その裏には、今まで何とか会社に適応しようとしてうまくいかなかった悔しさや無力感、仕事を長く続けられている人への憧れと嫉妬などの複雑な感情が入り乱れていて、「私にとっての激重かつ超大切な問題」がある。

それをみんなの前で話したとして、果たしてお弟子仲間にその問題を大切に扱ってもらえるのだろうか?という不安がある。

私がここで危惧しているのは、いわゆる「カウンセラー様」がいないだろうかということだ。

自分の大切な問題を話したところで、「こんなの大した問題じゃない」と軽んじられたり、「こう考えるようになったのはこれが原因でああでこうで~」というよく分からない分析や高尚な演説(皮肉)をされるのではないかと思う。

もっとひどい言い方をするなら、自分の切実な問題が、カウンセラー様の素晴らしい(皮肉)分析や講釈を垂れるための自己満足行為、いわばマスターベーションの道具にされるのではないかということだ。

そこまで言うならみんなの前で相談しなきゃいいだろうという話なのだが、厄介なことに「他人のことなんざ信じらんねぇ!!」という気持ちと同じくらい、「他人を信じたい、出来ることなら助けてほしい」という気持ちがある。

だからこそ苦しいのだ。

そもそも、私は出来ることなら心理学やカウンセリングなんていうものとは無縁の世界で生きていたかった。

嫌なことや上手くいかないことがあっても、友達と遊んだり、お酒を飲んだり、寝たりすればすぐ復活できるような、陽気で明るい世界の住人になりたかった。

「カウンセリング?病んでたり心の弱い人が行くところでしょ?」とか無邪気に残酷なことが言えるような人間の方が、よっぽど生きるのが楽だったんじゃないかと思う。

しかし何の因果か、私はアンダーグラウンドの薄汚れた水を飲み、「まずい!もう一杯!」と青汁のCMのようなセリフを言うような生き方をしている。
我ながらアホだと思う。

これも私なのだとコミットするしかないのだろうか。

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Fuka
Fuka
スクールカウンセラーにお世話になった人に安心できる居場所を提供したいとの思いで、心理カウンセラーとして活動しています。

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