このブログは何なんですかね、カウンセラー要素は一体どこにあるんですかね?
ブログでしか私の存在を知らない人は、「こいつ現実世界で生きていけてんの?」とか、「お弟子の講座の中で浮いてんじゃないの?」と思ったりするかもしれない。
まぁ浮いてる?というかずれてる?のは認める。
でも私は講座に友達をつくりに行ったわけじゃなくて、心理学が私の抱えている面倒くさく漠然とした、明治の文豪の言い方を借りれば「将来に対する唯ぼんやりした不安」を何かこう楽な感じにしたい的な理由で行ったわけで(言い訳じゃねぇぞ!!)。
で、楽になったかはまだ分からん。
人生3歩進んで2歩下がるならまだギリギリ前進しているから良いが、4歩下がってると感じるときもある。今がまさにそんな感じ。
この広ーーーい世界の中には奇跡的な確率で、「お前個人が癒されていないくせに、何カウンセラーを名乗って活動してんだ」と思う人もいるかもしれない。
しかし、そんなこと言ってたら私がカウンセラーになれるのは一体何十年後やねんという話になる。
それに途中でまた<心に100万の大ダメージ!!>みたいな出来事が起こったら、更にカウンセラーへの道は遠のく。
ていうか、生きている限り傷が完全に癒えるわけない。
過去の失恋の傷が治りかけたと思いきや、新たな彼ないし彼女から別れを切り出されて傷が上書きされたりするんだから(私は経験が無いからただの想像だけど)、ある程度傷が回復したら次に行くっきゃない。
更にこの広ーーーい世界の中には奇跡的な確率で、「じゃあお前カウンセラーやるな!」という人が出てくるかもしれない。
しかしこれだけカウンセラーを名乗る人が多い世の中なのに、気軽にカウンセリングを受けられる状態にはなっていないと感じる。
それなぜか。私の仮説は「どのカウンセラーも普通にいい人で、クセがない」からではないか!?
クライアントは大なり小なり問題を抱えているから来るのであって、そこに人として立派に見える、道を外れたことなんてなさそうなカウンセラーがいたらプレッシャーじゃないか!?
こんなちゃんとしてそうな人にドン引き必至の闇エピソードを喜々として話す人は☆5くらいのレアキャラだろう。
だからこそ、私は自らドブ沼のドブを元気に被り、「こっちのドブ水はうまぁい!」と叫んだり、足元をすくわれて盛大にこける等の精力的な活動をこれからも続けていくつもりだ。
この活動を通じて、「こんな奴もいるなら私も生きていけるだろう」と思ってもらったり、「一緒にドブ沼トークしよう。恋愛ドブ沼の水には酸いも辛いもあってバリエーション豊か。」と、将来使うか分からない謎知識を教えてもらったりするのだ。
というわけで、これからもこのブログは一般受けを考えず、自らを人生ガチ勢と名乗るただの変態に向けて好き勝手に書いていきたい。
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